Slug on Tulip は、現在準備中です。

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地に足が着いていないような、どこかふわふわとした現実感のない日々が続いている。
2019年12月初旬に最初の患者が出たとされる新型コロナウイルスは、2022年になっても相変わらず猛威を振るっている。感染者数や死者数が天気予報のように毎日報道されることにも慣れてしまった。
ワクチンや変異株など、入ってくる情報もなんだかあやふやで、SNSを覗けば専門家の正反対の主張が同時に伝わってきたりする。
人と会ってはいけないので、インターネットを介して会議をしなければいけない。遠出してはいけないが、遠い国の戦争についての最新情報は毎日更新される。
このちぐはぐな感じが、現実感を失わせる。情報の車酔い。

それでも時間は否応なしに流れていて、子供は勝手にすくすく育っていく。
毎朝ご飯を食べさせ、口を拭いてやり、靴下を履かせ、体温を測って、名札をつけて、マスクもつけて、リュックを背負わせる。
子どもを保育園に送り届けるのは僕の役割で、眠い目を擦りながら準備を進めるのだが、名札が見当たらない。
どうやら昨晩、名札をつけたまま服を洗濯機に放り込んでしまったらしい。洗濯機の中から紙がふにゃふにゃになった名札を取り出す。名前が滲んでいるが、読めるし、まあ良いだろう。というか、名札ってつけていく必要があるんだろうか。
このチューリップ型の名札は、真ん中が透明なビニールのポケット状になっていて、そこに名前や連絡先を書いた小さな紙を入れておく。例えば、迷子になった時などに、連絡先が名札に書いてあれば安心だと、そういうことなんだろう。
極彩色の赤と単純化されたチューリップの形が、私は守られるべきものだと主張する。
つまりこのチューリップ型の名札は、小さな紙に書かれた情報を保護し、目立たせ、服に取り付けやすくするための「額縁」だ。
ところで、このチューリップ型の名札は絵文字としてUnicodeに登録されている。登録名は「Name badge」だが、チューリップ型の名札のない外国では、なぜこれがName badgeなのかピンとこないそうだ。グローバルに広がった、ローカルな額縁。弱くて小さいもののための初めての額縁。
ぼんやりと、この額縁を眺めていた。何を収めようか。

唐突に話が変わるが、この頃飼い始めた動物がいた。
夏から秋にかけて、我が家ではたまになめくじが室内に現れる。なめくじが入ってくるような隙間があるようには思えないのだが、気づくと壁に張り付いていたりする。何かの汚れかと思ってなんとなしに目を凝らしてみると、有機的に過ぎるフォルムと、ぬらりと湿って鈍く光る艶やかさにゾッと鳥肌を立てることになる。
ただ動きも遅ければ、特に害があるわけでもないので、軽く驚いた後は割り箸で摘んで外へ放り出す。
一体なぜここにいるのだろう。ここまでどうやって来たのだろう。
見えるようになるまでは見えていなかったのに、見えるようになった途端に不快感を感じる。考えてみれば勝手な話だ。
観察していると面白いもので、なめくじはどんな生き物よりもしっかり地に足をつけて、いや這いつくばっている。地面の感触を確かめながら進んでいるようにも見える。ゆっくりと、静かに進み、いつの間にか驚くようなところに姿を現す。
かたつむりの殻を無くす方へ進化したものがなめくじだと言われている。殻がなくなった分、外敵や乾燥に弱くなり、その代わりにどこへでも這っていける身軽さを手に入れたのだという。
かたつむりと比べると、見た目の不快感も段違いに増しているように思われるのだが、なんとなくそんな姿にも健気さを感じてしまい、このなめくじを飼うことにした。ケースに入れ、リビングに置いてある。
透明な小さいケースの中で身を捩りながら蠢く1本の線は、筆のストロークのように見えなくもない。このストロークを、何に収めようか。

こういうわけで70個のドローイングが出来上がったのだが、70個を並べてみるとなんだか一種のNFTアートのようにも見えてくる。
NFT(ノンファンジブルトークン)アート、その中でも特にジェネレーティブNFTアートと言われる類のものは、バリエーション違いの似たようなグラフィックを大量に生成し、そしてそれらを商品として陳列する。ずらりと並んだグラフィックはそれはそれで壮観で、レアな組み合わせのグラフィックが生まれると高値で取引されるという。
NFTをブロックチェーン上に登録することを、貨幣の鋳造(「鋳造」=英語でMINT)という意味を込めて「MINTする」と言う。まさにNFT化したその瞬間に、貨幣的価値そのものが発生するというわけだ。
NFTマーケットが盛り上がる一方で、その唯一性や真正性がどこまで担保されるものなのか、また現状の法律における権利の関係などについては、未だに議論が絶えない。あやふやなまま販売され、所有され、語られていくNFTアートの輪郭がこれからはっきりしていくのか、それともますます深い霧に包まれていくのか、正直なところよく分からない。

チューリップ型の名札も、なめくじも、NFTも、曖昧で頼りない。コロナ禍の社会も、その先も、子供の未来も、あやふやなまま、地に足がつかないまま進んでいく。未知のウイルス、海の向こうの戦争、かつての「大きな物語」とは違う、姿の見えない大きな流れがゆっくりと個人を押し流していく。
僕に一体何ができるだろう。今はとにかく、この曖昧と頼りなさを鋳造することにする。

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川村 元紀
Motonori KAWAMURA
1984 静岡県生まれ、東京在住
http://kawamuramotonori.com